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  1. 2023/02/15スタッフコラム

    〇まPの裏庭  サキガケ新報創刊149年!と、いろんな感慨

    去る2月2日、サキガケ新報が創刊149年を迎えたとの記事。スゴいですね。来年は150年の大きな節目。。。仁政会は…1976年(昭和51年)9月に病院を開院。その4年後1980年に法人化。病院開院50年は3年後の2026年だ。因みに理事長のお父さん(政雄先生は病院の初代院長で、病院の会議室に額入り写真が飾られているメガネのあの人です)が秋田市土崎に産婦人科医院を開設したのが昭和2年の5月。つまり1927年だから4年後に100年。これもスゴい歴史。

    サキガケの創刊記念特集と銘打った2ページに渡るマジメそうな記事は当然スルー。(マジメな内容は眠くなりますもの)別のページにあった「秋田魁新報に見るニュース」という「15年前、20年前、30年前、40年前」のニュースが掲げられている記事が目に入った。区切りの面からは10年、50年のものがないことに「???」を感じたが仕方ない。最も古い40年前。1983年のニュース。「新脳研センターと小児療育センターが完成」と「日本海中部地震発生」の2つだ。地震については以前のこの欄にも書いていた。発生の翌日に杉山病院の採用面接に赴き、面接終了後、クルマで送ってくれた叔父と男鹿方面に地震の影響を確認に向かった、との内容だったはず。もう一つの「脳研センター」については今回初めて知った。確か4年前の2月に増改築し超近代的な設備を備えて「県立循環器・脳脊髄センター」とスゴく判りづらい名称になっちゃった記憶のあるあの「脳研」(秋田県民にはこの略称がピンときますね)が40年前にオープンしたのだ。と、感慨をもってその記事に接した。そう言えば祖母も母も脳研にお世話になった・・・

    サキガケは父が58歳まで勤務した。(当時定年は58歳だった)社屋は大町1丁目にあった。今はサンパティオやあくらなどがある場所。小学生の頃はサキガケの「床屋」さんで髪を切ってもらってたので年に何度も行ってた。地下にある父の所属する印刷部は暗くてインクの臭いが充満してた。活版を落としても大丈夫な重くて固い安全靴を履いて仕事している父を見て「大人のオトコ」をカッコいいと感じた。。。なので、サキガケには思い入れがある。

    と、40年前の1983年にも思い入れ。あぁぁぁ、もう40年かぁ…杉山病院に勤めて40年になる。実感が全くない。20年くらい前までは毎日ミツユキさんにくっついてテニスとバドミントンの活動をマジメに真摯にやってたし、ミツユキさんが9年間会長だった杉の会のお手伝いも楽しくしてた。そのあとが速い。この20年は何をしてたんだろ。今は今で楽しいのだけど、やっぱり1日が速く過ぎる。「ジャネーの法則」はホントだと改めて実感。