先日、埼玉に住むホリガネ先生から葉書が届いた。何故いつも葉書をくれるのかは甚だ疑問だ。メールの方が読み易いくらいの「達筆」だから。。。「国語の教師は字が上手い」という先入観を一発で吹き飛ばしてくれたのが中学の担当だったアンドー先生。ポールニューマン(往年の映画スターです)っぽい風貌のちょいワルな感じの中年。3年の時の最初の授業での地元弁+板書の字にぶっ飛んだ、出身が秋田市下浜地区だそうで「シモハマだばや~」を連発。「友情のパスポート」という教科書にある作品名を最初に板書した字は今でも鮮明に覚えている。「あぁ、こんな字を書く教師がいるんだぁ」。教室内ザワザワ…
あ、ごめん。ホリガネ先生のチョークの字は上手いのかもしれないケド。まぁ、そんなことはどうでもいい。親友のフクシマ君と共に各々が学生時代に暮らした街、アパートを訪ねたという。僕が「ヨシギューで牛丼1日3食」の記録を達成したは池袋西口のお店。立教大の近く、ホリガネ先生ん家からも近かった。周辺の雀荘に1日中籠っていた。彼のアパート「岸野荘」は今や「岸野ビルディング」となり聳え立っているという。で、2人で僕の暮らした「沼袋」(「池」と「沼」の違いはデカい。沼袋は超庶民のエリアだ。部屋代も「池」の1/3程度だった!)にも赴いたと。嬉しかった。2階建てで下に大家さんが住む古~いそれは、アパートを辞め大家さんのお宅になってたそうだ。4畳半1間で共同トイレ・台所の僕の部屋に彼らはどんだけ泊まり、どんだけ「下」の大家さんから注意されたことか!「〇まPさん、今何時だと思ってるの~?静かになさい!」。今も耳に残る。。。ホリガネ先生はこう記す。「言葉が出ないほどの懐かしさ・・・」。やっぱり友達っていい。ある時のある瞬間を切り取った映像を共有し、何十年経ってもそれを一緒に語り合える。確かに自分がそこにいたという証明となる友達の存在は齢を経ると本当に嬉しいものだ。ホリガネ先生の「懐かしく言葉が出なかった」に目頭が熱く・・・
今、一緒に働く2才下のフクシマさんが言う。「学生時代のトモダチは別格ですよね~」。本当にそうだ。「4年間の隠居生活」(大学時代のフクシマ君の名言だ)を共に過ごした彼らとの思い出は浮世離れした非常識だらけだ。「社会人の自覚」「職場での役割」など一切ない、宙ぶらりんで刹那的だけど、2度と経験することのできない4年間を一緒に過ごした仲間たち。
コロナが5類になり1年以上経った。少しずつだが「コロナ前」の行動に戻ってきている。彼ら2人とは2019年8月に有楽町で逢ったきり。(そのことは5年前にこのコラムに書いている)そろそろ会いたい。まだ全員が健康なうちに・・・