何度も言っているが僕はニホンブンガク科卒だが、学生時代の多くの時間は麻雀とアレンジボール(1970年代後半から80年代半ばに流行ったパチンコと似た球戯)に費やした。今はどうなったか知らないが当時の母校のニチブン科は3クラスあった(と記憶している)。クラスの振り分けは選択した「第2外国語」が「仏語」か「独語」かで決まっていた。独語1,仏語2のクラス編成。1、2年生の時の語学、保健体育などの「教養課程」の授業の時だけ集まる「クラス」だ。同じ科の他のクラスの学生と交わる機会は少なかった。が、何故か仏語クラスのコと仲良くなった。浅草橋の老舗日本人形店の息子。彼の実家に泊めていただき大歓待いただいたことがあった。その彼から「カブケンに入んない?」と誘われた。「ん?株研究?」と思い「まだ早いしあまり興味ないや~」。。。後で気づいたのだが、「カブケン」は「歌舞伎研究会」だった。確かに彼は二十歳そこそこでも「株」をやりそうなくらい大人でお金持ちだった。が、ニチブン科なのに「それ」と気づかない伝統文化に全く疎い僕は一体・・・
何故、こんなことを思い出したか。実は、先日「国宝」を観た。東宝シネマズのレイトショーで。配偶者に数か月前に誘われていたが断っていた。勘違いをしてたのだ。
吉田修一の「国宝」は、文庫化され本屋に積まれていたのでその存在は知っていた。が、この時「藤沢周」の「世阿弥最後の花」とすっかり混同。「能楽」のお話だと思い込んだ。その上、吉田の作品で映画化された「悪人」があまりに印象深くて「どうせ、能楽の人間国宝が行き詰ってライバルを能面に毒を塗って殺しちゃうお話でしょ」くらいに勝手に暴走。「藤沢周」の作品と混同したのにも理由がある。彼らの共通点。「芥川賞作家」(吉田は「パークライフ」で、藤沢は「ブレノスアイレス午前零時」で受賞)だということ、そして母校のOBだということ。僕の中で2人の作家は他の作家よりもより近い存在に感じていたのだろう。
そんな勝手な想像から映画「国宝」は観ないと断ったのだが、配偶者はYouTubeで語られている「国宝」のスゴさを何度か僕に見せ、「行こうよアピール」(彼女は完全無欠の「ミーハー」なのだ)。いろんなことに驚いた。で、レイトショーへ。
「あっという間に」とよく言われるが、そんなことは経験したことがなかった。普段10時前には寝る僕らは上映前に「23時半まで起きていられないよね~イビキしたらどうしよう。」「3時間かぁ、途中でトイレタイムなきゃ困るね、こちとらトシヨリなんだからさぁ」。が、文字通り「あっと言う間」の3時間だった。吉沢亮、横浜流星に加え、田中泯。この俳優たちの女形に対するホンキの演技。「圧倒的」な何かに気圧され、会場内は一言もない。完全に映画に入り込み、気づいたときはエンドロール。。。帰ってからも興奮が続き、「絶対に歌舞伎座に行こう!」。今は映画の余韻に浸り、原作はもう少し時間を置いてから楽しみたい。