アルコール依存症の患者さんがなかなかお酒を止めることが出来ないのは、それこそが病気の症状であるからなのですが、
ご家族にとっては、そして本人にとってもそこがなかなか理解出来ない部分の様です。飲酒のコントロールが出来ないことが主たる
症状なのですから、その本人とお酒を減らす約束、やめる約束をしてもその約束自体が成立する訳がありません。
それでも周囲の人たちは本人と禁酒の約束を交わしたり、誓約書を書かせることに一生懸命になります。約束をすることで、
とりあえず自分たちが安心したいという事なのだと思います。また、そんな約束をする本人にしてみても、その時は本当に禁酒を
しようと思っている例が多いのです。ところがうまくいかないと「あの時は無理やり誓約書を書かされた」とか、「無理やり約束
させられた」と言うのです。
家族は、止めることが出来ないことを棚に上げて言い訳ばかりの本人を見て、反省の一つもない、反省が足りない、もっと反省
させなければ、、と思い込みます。深く反省すればお酒を止めることが出来るはず、いや、反省無くして禁酒はあり得ないとまで
思い込むのです。
さて、その反省は?
かつて当院で行われていたアルコール依存症の患者さんのグループミーティングでの出来事でした。外泊して来た患者さんが、
当日は家族全員が彼を温かく迎え入れ、食卓を囲んで談笑できたことを話していました。入院させられて、家族に見放されたと
思っていた自分だったが、皆から優しく声をかけてもらいとても嬉しかった。そしたら今までの行動を反省し、しっかりお酒を
止めようと思ったそうです。彼は『嬉しかったから反省した』と言うのです。
反省というのは言われてするものではなくて、しみじみと自らするものだと思います。僕自身「反省しろ」と言われて反省
できたことは一度もありませんでした。むしろ「辛かったでしょう」などと共感的なことを言われた時の方が「ジワーッ」と
反省しちゃいます。
「お酒を止める」→「しみじみと反省する」は、あっても「反省させる」→「酒を止める」はありませんでした。反省って、
受け入れられている実感がないとできないですね。責められたばっかりだと「反感」になっちゃいますね。
『嬉しかったから反省した』今回は患者さんが語ってくれた「貴重なお言葉」でした。
そこで、ふと思いました。果たしてサルは本当に反省出来るのだろうか?
文章が少し長くなったので反省しています。(←してない!してない!と、〇まPが言った)