どれくらい前になるんだろうか。ミツユキさんから「夜回り先生と会っていろんな話をしたゾ」。で、水谷修先生についていろいろ教えてもらっていた。それから間もなくTVでも度々取り上げられ全国区に。先日、サキガケで久しぶりに見かけた。「死」を意識する彼が思う「今この一瞬」について書かれていた。「(彼が興味を持つ)仏教では、時間を泡と捉える。例えば我々は生まれて海底から泡になる。それが大きくなってぽーんと弾けるのが「死」。過去も未来もなく、我々の中にある今しかない。」更に「幸せって明日や未来にしかないって思っていたけど、今に幸せがあるし~」と、これまで「今が辛くても必ず幸せになるから頑張ろう」と励ましていた自分に疑問を持つという。「今この瞬間を大切に」と思うという。この「今この一瞬」を道元は「而今(にこん)」と書いているそうだ。
最近読んだ「JR上野駅公園口」(柳美里)はホームレスを描いた作品だが、その中に「~~そうやって人生は続いていく。暦には昨日と今日と明日に線が引かれているが、人生には過去と現在と未来の分け隔てはない。誰もがたった1人で抱えきれないほどの膨大な時間を抱えて生きて、死ぬ~」とあった。僕らは今この瞬間を生きるだけ。
と、「而今」が気になった。実は水谷さんの記事が目に留まったのはこの2文字を見つけたから。三重県の名酒の名前なのです。仏教では「にこん」と読むそうですが酒名は「じこん」。秋田駅前の永楽食堂でも見たことがないお酒。僕は「而今」があるお店を秋田市内で2件知ってる。あ、1件は居酒屋じゃない。(当然、高級料亭とかではない。)これまで3度飲めた。美味しいお酒。ここでは店は教えられないけど。
日本酒の話題になっちゃったんで、僕の中の「日本酒」を少しだけ話したい。僕の父は大酒呑みだった。子供の時分からの記憶では多くのシーンで酔っぱらってた。彼は結構「好み」が限定的でビールはサッポロ、ウイスキーはサントリー角瓶、焼酎は甲類、日本酒は新政を好んだ。そして家ではそれらを併せ呑むことをせず、何年かずーっと同じものを楽しんでいた。。。僕は学生時代に吉祥寺のライブハウスでの「ワンドリンク」メニューに「新政2合」とあり、感激して注文した記憶がある。春休みで帰省して姉と二人で川反の居酒屋で「忠勇」を飲って泥のように酔ったことがあった。以来、日本酒は僕には合わないと思い遠ざけていた。再び始めたのはフクシマさんの存在だった。2人で飲むようになった。秋田市内はおろか東京でも。で、名店に併せて名酒も教えてもらった。年齢を重ねたせいかすんなりとカラダが受け入れた。お酒って深い。その時期や年齢によって飲む種類が変わっていくんだ。父親もそうだったんだね。晩年は甲類の水割りしか飲まなかった。。。家呑みしかできない今、「外で飲むより絶対安く済むから大丈夫!」と配偶者は肝っ玉の大きさで小心者の僕を後押ししてくれて全国の珍しい日本酒を買って飲む機会が増えた。どれもそれぞれに美味い。この冬はこんな気候だからか、「燗」したお酒も楽しんでいる。少し前まで苦手だったけど、お銚子を傾けながらゆっくりと少しずつ口に含んで飲む燗酒もまた美味、と感じる年齢になったんだなと気づくこの頃。フクシマさん、「大綱の響き」(大仙市の名酒。ミツユキさんからも何度もいただいてた)美味しかったよ。ごちそうさまでしたぁ。あ、ちゃんと冷やして飲んでますよ~