土崎港地区は、仁政会の運営する施設が初めに建てられた地区であります。
まずは、土崎港のご紹介を!遠く昔、奈良時代から秋田浦として都の人たちが行き来してきていたようです。鎌倉時代や室町時代には、
群雄割拠していた『海の豪族』安東水軍擁する安東氏が、青森県十三湖付近の十三湊(とさみなと)から来て土崎湊を支配。湊城として、現在の
土崎神明社の場所に築城。土崎湊は、日本最古の海洋法規集である『廻船式目』に三津七湊として、日本の十大港湾として記されている。
その後、1602年に秋田転封(関ケ原の戦いに参加しなかったため)となった佐竹義宣が入城したが、湊城は手狭で久保田城を建設。1604年湊城は
廃城となった。1620年跡地に土崎神明社が建立されました。以後、羽州街道の整備や出羽の国のおいしいお米を運ぶ北前船の廻船問屋の蔵が多く
立ち並び繁栄しました。テレビの時代劇の「お代官様これで」「〇〇屋、お主も悪よの~」といった話も土崎湊で交わされていたかもしれません。
そんな歴史とロマンに溢れる土崎港地区の半径500メートルくらいには、仁政会の運営している施設が、医療分野は、サンクリニック(日中活動の
場としてのデイケアもある)とルナメンタルクリニックがあります。福祉分野は相談支援事業所やわらぎ・就労継続支援B型事業所やわらぎ(印刷部門と
飲食部門)・グループホーム杉翠荘・第2杉翠荘があります。コンパクトに配置され、おまけにスーパーや金融機関が多数あり、生活の場としては良い
環境です。
近隣の方やグループホームの入居者様には、とても生活しやすい環境で暮らしていただいています。実生活では、躓くことやへこたれることも
多々ありますが、なんとか自分なりの生きる道を時には助けを求め、迷いながら自分探しをし、生活しています。
微力でありますが、土崎港地区でみんなが幸せに生きるお手伝いをしていきます。
グループホーム杉翠荘 〇岡
玉置浩二『田園』の一節
生きていくんだそれでいいんだ 生きていくんだそれでいいんだ
波に巻き込まれ風に飛ばされて ビルに飲み込まれ街にはじかれて
それでもその目をつぶらないで それでもその手を離さないで
僕がいるんだみんないるんだ 僕がいるんだ君もいるんだ
そして君がいる他に何ができる みんなここにいる愛はどこにもいかない