平家物語の冒頭部分にある一節ですが、無常とは「この世の全てのものは絶えず変化し、永遠に続くものはない」
という仏教の根本的な真理の一つです。
こんにちは。私は御朱印を集めるのが趣味で、暇と体力がある時は神社仏閣をまわっています。
勉強は大嫌いですが、調べ物は好きな私が担当する今回のコラム。お時間あれば最後までお付き合い下さい。
日本人なら一度は耳にしたことのある経典に「般若心経」というものがあります。西遊記で有名な三蔵法師が
インド(天竺)から持ち帰った経典であることはあまり知られていません。実はインドから持ち帰った大般若経は
600巻もありましたが、これを三蔵法師が260文字程度にまとめたのが般若心経であることは更に知られていません。
600巻もある経典を僅か260文字にまとめるなんて、彼は優れた編集者だったのですね。
260文字程度という曖昧な表現には理由がありますが今回は説明を省きます。
ちなみに三蔵法師は訳経僧(経典を訳す僧侶)の尊称で、本名は玄奘三蔵と言います。
夏目雅子や深津絵里らがドラマで演じていましたが、実は本人の性別は男。かなりの美男子だったようです。
仏教には様々な宗派がありますが、多くの宗派において共通している教えの一つが「老い」について。
仏教で老いは「生老病死」の四苦の一つで避けられない現象と謳われます。思考や生活動作の衰え、迫る最期
に不安を覚え、身近な人間との死別に怯える時期とされています。その一方で肉体の衰え(老苦)を受け入れ、
執着を捨てて知慧と慈しみを深める成熟の過程(時期)であるとも説いています。
看護学校では「発達段階」「発達課題」を学ぶカリキュラムがあります。
(詳しくは省きますが)乳児期から老年期までを8段階に分け、それぞれの段階で「危機」と「課題」があると
されています。例えば乳児期。この時期は母親やその代わりの者に出会い、沢山の愛情を受けることで他者
や自分を十分に信頼出来るようになることを「課題」としています。もしもこの時期に親の不和や不在が
あったり、育児拒否や放任、虐待があると精神機能が発達できず他者や自分を愛せなくなるという「危機」に陥ります。
発達段階・発達課題における「老年期」を見てみますと、この時期は死への意識が高まり自分の人生を
振り返ると同時に、スピリチュアルを含めた世の秩序や法則と自分の人生を擦り合わせ受け入れる(統合する)
ことが「課題」とされています。この課題を達成できるまでは心身の衰えや迫りくる死に怯え絶望を続ける
「危機」に陥ります。現代の科学(学問)に通じる思想を過去の偉人は既に説いていたと思うと感慨深いです。
さて、仏教で崇拝の対象となる仏様は複数いますね。私はそれぞれを細かく調べるのが好きなのですが、
今回は短く紹介。大きく分けると如来、菩薩、明王、天部となるようです。その始まりや役割を詳しくは
解らなくても見ているだけでワクワクしてしまいます。
宗派によってはその能力や役割に微妙な差があったりしますが、学校の先生のお仕事に例えますと
如来→校長先生
菩薩→担任の先生
明王→生活指導の先生
天部→守衛さん、保健の先生
といった具合になるようです。
それぞれの役割や得意分野の違いに胸熱です。
役割に関連した情報をもう一つ。
この話しは仏様を身近に感じられるよう「神様」として紹介します。
新築の家には七人の神様が舞い降りてきます。
一番目の神様は応接間に
二番目の神様は玄関に
三番目の神様は居間に
四番目の神様は寝室に
五番目の神様は台所に
六番目の神様はお風呂と洗面所に
最後の神様は最終的に残っているトイレになるそうです。
何故、到着する順番が違うのかは持っている宝物の量の違いにあるそうです。
一番目の神様は、何も持たず手ぶらで。
二番目の神様は、小さな紙袋を持って。
三番目の神様は、セカンドバックを持って。
四番目の神様は、小さなナップサックを背負って。
五番目の神様は、リュックサックを背負って。
六番目の神様は、やや大きめのリュックサックを背負って。
七番目の神様は、大きな、大きなリュックサックを背負って。
七番目の神様が背負っている宝物は、とても重いので、早くは走れません。したがって、必ず最後に空いているトイレの担当になってしまいます。
六番目の神様も、五番目の神様も、七番目の神様程ではありませんが、宝物を背負ってくるそうです。
つまり、家の水回りをきれいにしておくと、お金に困らないらしいです。
また、新築から何年か過ぎ、家が汚れたり、ちらかっていると、神様は出て行ってしまわれます。
しっかりと手入れもされて、整理整頓されている家にはふらりと立ち寄り、居心地が良いと住み着い
てしまう神様もいらっしゃるそうです。
我が家も水回りだけは綺麗に片付けているつもりですが、まだまだ足りないようです。
おわりに「縁起」について書こうかと思っていましたが、長くなりそうなので止めます。
今回のコラムを担当することになった私と、そのコラムを読んで下さってる方とは、途方も無い「起」に
よって生まれた「縁」で結ばれていまして、その縁に感謝してコラムの括りといたします。
看護部 M
