仁政会ビル内の職員Sです。
ある日の出勤途中、交差点の一角に立って手を振る人を見ました。結構な吹雪の中、のぼりを立てて、行き交う車一台ずつ運転手と目を合わせています。
きっと今年の国政選挙に立候補するものと思われます。寒空の中で誠意をもって務めてらっしゃいました。ごくろうさまです。この行動のことを辻立ちと
言うようで、通常は政策や主張を有権者に訴える演説が行われます。
この辻立ち、立候補者の認知度を高めることを期待して行われますが、同時に選挙が迫っているということを知らせてくれます。今年は7月に参議院議員
選挙の投開票が予定されています。
政治に強い関心がある方ではありませんが、種類は問わず選挙には行くようにしています。投票を放棄することは「どうでもいいからうまくやってくれ」と
丸投げするような気になってしまいます。テレビや新聞を見て政治や政治家に文句や小言を言う権利を得るという軽い気持ちで投票しています。
近年、選挙の投票率は下がり続けている傾向があります。なぜなのか。なかなか投票所に足が向かないという理由が多いようです。投票しやすい環境を
整備することも必要でしょう。ここはデジタル庁に奮起してもらい、ネットで投票できるようになると良いのかもしれませんが、果たして…。一方で、
「投票しても変わらない」「選挙に関心がない」といったネガティブな理由が結構あるのではと予想します。しかし、投票せずに選挙を棄権することは、
何も意思を示していないのに「今のままでも良い」と考えていると勝手に解釈されてしまいます。そんなの気分悪くないですか。現状で良ければそのこと
を示すために、あるいは不満があるなら批判的な意思表示するために、選挙に参加して誰かに(どこかに)投票してみてはどうかと思います。
ちなみに、私が投票した人が当選した試しがないです。でも、それでも良いのです。投じた1票は確実にカウントされ数字として残ります。その数字が
大きければ大きいほど、与党や当選した議員に日頃の政治活動を見られ評価されているというプレッシャーを与えます。と信じたいところですが、そう
でもないのかもしれないとここ数年著しく感じます。
それでも私は投票しに出向きます。なぜなら、投票所で渡されるあの投票用紙の触り心地と書き心地が好きだからです。あのしなやかさといった何ものにも
代え難く、鉛筆との相性も梅に鶯、牡丹に蝶のごとく抜群に良いです。投票用紙がいかに素晴らしく魅力的かを訴えかける辻立ちをすると、投票行為に興味
を持ってくれて投票率のアップにつながるかもしれません。でも、私は寒空の中ではいたしません。