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スタッフコラムStaff Column

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  1. 2026/01/22スタッフコラム

    〇まPの裏庭  教師ってムズい。

    2019年から240ほどの記事を本欄に書かせていただいている。その中で内館牧子さんのエッセイや作品について触れさせていただいたことが何度かあった。サキガケ新聞の「明日もはなまるっ!」には昨年3月まで17年間も内館さんは書いてくれたそうだ。その内館さんが昨年末に77歳で亡くなられたと報じられショックを受けた。心不全だった。10数年前にも盛岡で倒れて長いこと意識がなかったとエッセイに書かれていた。。。ご冥福をお祈りします。

    ところで、サキガケ新聞には「えんぴつ四季」という読者投稿欄がある。年配の方々からの投稿が多いが、1月7日付のそのコーナーは秋田市の現役教師が投稿していた。50代後半の彼のお話は考えさせられるものだったのでお伝えしたい。

    彼(投稿者。便宜上以下、「Aさん」とする)が小学校3年生の時のお話。つまりほぼ50年も前のことを鮮明に小学校低学年のコが覚えているのだから余程印象深かったのだろう。。。図工の時間、各家庭から空き瓶や空き缶を持ち寄り紙粘土を側面に貼って花瓶を作ることになった。Aさんはやや大きめの缶を持参し作業したのだが、いくら薄くのばしても紙粘土が足りずにヒビ割れてしまう。隣の席の同級生(以下、Bさんという)はそれを見て、残った自分の紙粘土を譲ってくれると言ったそうだ。が、担任の教師はそれを許さず、結局ヒビ割れの花瓶ができた、という。Aさんは「心が傷ついた」そうだ。「当時、先生も思うところはあっただろうが」と。。。Aさんは特別支援学校の教師をしている。子どもたちには自分の思い描いたアイディアを楽しく思い切り表現させたい、という。

    僕は思う。当時の担任は「与えられた範囲内で成果を出すこと」を学ばせたかったのかもしれない。50年前の社会人は戦後の「モノ不足」を経験しているかもしれない。僕らの子供時代は今のようにモノが豊富ではなかったからそれは解るような気がする。。。しかし、彼(担任教師)はいくつか誤っていると思う。第1に「持ち寄る空き缶や空き瓶の大きさを規定しなかったこと」だ。限られた紙粘土を覆える大きさのものでなければ花瓶は「未完」となるか「ヒビ割れ」てボロボロの見た目になっちゃう。第2に「Aさんの創作意欲」を削いだこと。大き目の花瓶に大輪の向日葵を活けたかったのかもしれない。ステキに完成した作品を周囲から称賛してもらいたかた気持ちを台無しにしてしまった。 第3にBさんの優しさを褒めたたえ、伸ばしてやれなかったのだ。Aさんは「空き缶」がステキな花瓶になってお母さんに誉めてもらいたかったハズ。花瓶の完成後にどんな花を活けるのか想像しながら作ったハズ。BさんはAさんに感謝され他人に「与える」喜びをその幼さの中で体感できたハズ。モノの大切さは他の授業でも教えることはできるが、「創造したものが巧くできた感動」や「分かち合える(紙粘土にすぎないが)喜び」を学ぶ機会だったんじゃないか。。。

    僕には教師をしている(していた)友達が何人かいる。彼らは絶対にAさんやBさんをガッカリさせない素敵な教師だ(だった)。だって、彼らは今でもずっと僕にさり気なくポジティブになれる声掛けをしてくれるのだから。