寄稿にあたり、この度の秋田県の豪雨災害において
被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
かくゆう我が家も実家も浸水の被害に・・・
7月14日から降り始めた雨は次第に雨脚を強め、翌日15日も止むことなく降り続き、1日の雨量が1か月分にも及んだため、川が増水し、夕方には
堤防の上限まで迫る勢いだった。
川には近づかないようにと、再三報道されているにも関わらず見に行く夫。戻ってくると、「あど堤防まで1メートルくらいだ!!」との悲しい
情報がもたらされ不安が募る私。この時、すでに“緊急安全確保”(レベル5)の指示が・・・。そこに、実家の母親から追い打ちをかけるように
「近くの堤防が氾濫して、家の前が冠水しだしたから怖くて急いで避難所に避難してきた。家がなんとなってるか・・・。家まで水入ってねば
いいけど。」との連絡。“あ~あ、とうとう・・”と、思いつつも確認にも行けず、その後の状況はわからず不安だけがまた募る。
それでも、午後9時を過ぎた頃から雨脚が弱まり10時頃には小休止した。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、11時頃になると家の周りはどこから
ともなく押し寄せた泥水で埋め尽くされ、まるで沼のように。そして、11時半を過ぎた頃“唐突に何の断りもなく”玄関からゆっくりと“それ”が
侵入してきた。そして何の音もたてず、ヒタヒタと床上まで迫ってくる。4畳ほどある玄関は、12時を回ったあたりに満水状態。あと床上まで
3センチと迫り「万事休す」と思った時に増水はピタッと止まった。しばらくの間 水面とにらめっこ。
「あれ?なんか少しずつ減ってないかい?」
“とりあえず助かったのかな?”
“ラッキー?”
その後、排水ポンプとチリトリとバケツを駆使し家族4人で必死の水出し作業。1時間半かけて、ようやく排水作業完了。その頃になると家を
取り囲んでいた泥水はどこへやら?、“いったいなんだったのか?”、とりあえず1日目の戦いを終え疲れ果て深夜2時過ぎに就寝。翌朝5時前に
実家の母親からの電話で起こされる。「水が引いたから避難所から今戻ったら、床上浸水で家中泥だらけだ。」と。「あ~あ・・・やっぱりか」
水が引いた後の我が家の周辺はというと、流されてきた物が散乱し泥水のあとが残り、なんとも言い難い胸が“ざわざわ”する光景。そしてヘドロの臭い。
霧雨の中戦いの2日目の始まり。
我が家は床下浸水と小屋と車庫の浸水だったため、とりあえず実家の様子を見に向かうことにした。途中の道路は、あちこちが冠水して通行止めに
なっていて、迂回を繰り返しながらようやく到着。そして玄関から廊下、奥の居間までまっ茶色の泥だらけの光景に呆然。どうしたものかと途方に
暮れている最中に、“間もなく断水します”の防災無線からの無情の声。「嘘でしょ!!どうするの?」、町の浄水場も浸水しポンプが故障したためとの
ことであり、復旧の目途も立っていない状況だそうだ。この後、停電も続く中で時折強く降る雨をバケツに貯め、その雨水を頼りに地獄のような泥の
掃き出し作業を夕方までかけて行った。ひとまず、過酷すぎた2日目の戦いはとりあえず終了。
断水は1週間にも及んだ。毎日交代で水汲みの日々が続き、ようやく飲料水としての許可がおりたのは10日目のこと。本当に水のありがたみが身に
染みた10日間だった。2週間たった7月30日、ようやく我が家の小屋と車庫・実家の片づけに目処がついた。“唐突に何の断りもなく”始まった2週間に
及ぶ戦いの小休止。その後、我が家は限りなく床上浸水に近い床下浸水だったため、和室3部屋分の畳は床下からの湿気にやられ、しばらく立て掛け
たまま乾燥との戦いが続いた。
終わりに・・・ 今回沢山の友人・知人・職場の皆様から心配の連絡・励ましの言葉・お見舞い・差し入れ等を頂きました。また、断水が続き
お風呂に入れなかった時には、近隣の無料開放された入浴施設や当院のシャワールームをとても有難く使わせていただきました。この期間は、
辛く・泣きたいこと・体力の限界を感じることも沢山ありましたが、多くの方々の温かさや優しさに支えられた感謝の日々でもありました。
この場をお借りして感謝申し上げます。
ありがとうございました。めげずに頑張ります!
診療技術部 栄養科 S