何か知らないうちに順番が回ってきたらしく、他の人はどんなことを書いているのかと、徒然と読ませていただくことに。……皆様、
良いことを書かれているなあ。
振り返って、自分なら何をどう書くかと考える。考える。かんが……える。
……絶対に「良いこと」は書かないと決めたのである。
令和の世の中は、携帯電話やスマートフォンの普及で、手軽に映像資料が残せるご時世となり久しい。お陰で、東日本大震災や、先日の
能登半島地震における隆起現象など、一昔、二昔前ならば貴重と言っても過言でない資料が、ただでネットに転がっている。
これが、秋田県沖で発生し、秋田県人が思い知らされた日本海中部地震の記録映像となると、極端に数が少なく、どこかで見たような、
口さがない言い方をすれば「新鮮味のない」記録ばかり。記録するカメラそのものが高価で、フィルムという現在では絶滅危惧種の媒体が
主流だった時代、映像に残せる人間自体が少なかった時代の残り火のようなものであった。だからこそ、貴重なんだろうけどね。
ともかく、何か災害の生じたときなどに防災のためと称して、思い出したように災害記録を視聴するのだが、ふと思うのだ。「これって、
ローマのコロッセオじゃね?」と。
絶対に安全なところから、命が危機にさらされている場面を見ている。目的は全く違うが、現象は同一なのではないか?と、思ってしまうのである。
いやいや、防災のためですよ、己の戒めのためですよと言い訳してみたところで、その心のわずかなりともに「興奮」や「優越感」が無かったか?
と問われると、絶対に無いと言い切れないところが、いやはや、これがまたまったくどうしようもない。
ヒトの身である以上、致し方のないことであろうが、目的に純然で有ろうと思ったところで、その内実たるや煩悩や雑念の複雑怪奇な建築様式で、
純然からは実に程遠い。そうかと言って、混沌と呼べるほどの上等なものですらなく、せいぜいが「ごった煮」程度のものであろう。もっとも、
ごった煮のほうが食べられる分、上等である。
ああ、もう全くどうしようもない。「この世の中に自分ほど信じられないものがあるか」と、開き直りつつ、漠然とした「どうしようもなさ」を
隣人に過ごしていくのだろう。
よし、「良いこと」は何一つ書かなかったぞ。これで提出することにしよう。
翠香苑 リハビリ S