秋田県潟上市昭和大久保字北野出戸道脇41 018-877-6141

お問い合わせ

採用情報

スタッフコラムStaff Column

スタッフコラム

  1. 2024/06/13スタッフコラム

    転機と行動と縁

     今年ついに、40歳になりました。介護保険料がかかる年齢であることにげんなりしたり、人生の折り返し地点だから、あとどれだけ動けて

    残りの人生の楽しめる時間があるのか~などと、思ったりしてしまいます。

     

     さて、40歳になったと同時期に、大学の同窓会の案内がはがきで届きました。私は、岐阜の大学に入学していたので、開催地は岐阜駅前

    ということでした。はがきを見て、「あー、岐阜まで行くの、めんどくさい」、「先輩や同期も参加しないだろうからパスだな」と思って、案内の

    はがきは机に放り投げたまま。それから2週間ほど経過した辺り、スマホのショートメッセージに同じ研究室だった先輩からメッセージが入って

    いました。その後、いくつかのやり取りをして、「他に仲の良かった4人も参加するし今回で研究室の教授も退官するから参加しようぜ、よろしく、

    待ってるよ」とのこと。

     

     10数年ぶりに仲の良かった先輩から連絡があり嬉しかった半面、岐阜まで距離も遠いことや参加しても先輩や自分が変わっていて、うまく

    話せるかなといった考えもよぎり悩みました。とある人から、「先輩から声掛けしてもらっているし、こういう繋がりは大事だから参加した

    方が良いよ」とのアドバイスもあったので参加を決めました。そして、せっかく行くのであればと、大学の頃帰省時にやった車での

    実家⇔岐阜の往復(往復約1,600km)をやろうと思い、前日に有給を取り秋田から岐阜に向かいました。その際、景色を見つつ下道で

    行こうとアホな発想をしていました。

     

     AM600秋田 ⇒ AM800山形 ⇒ AM1030新潟の村上 と新潟の入り口まですいすい進む。ここまでは、「お、余裕じゃん」と思って

    いました。しかし、新潟から富山まで抜ける道がどれだけ過酷か、という学生時代ことをすっかり失念。そこからが過酷の一言、

    新潟市に到着し、あと少しだろうと思っても、燕市⇒柏崎市⇒上越市⇒糸魚川市と続き、富山県はまだ先という標識の怒涛の連打、まだ着かない、

    腰も痛いし「新潟は長すぎる」と発狂しそうになり、その後、富山県に入って「富山着いた~」と、歓喜したものの、、、富山市まで50kmの標識・・・、

    その後、富山市についたのがPM600頃で、新潟突入から富山市まで抜けるのに7時間半もかかりました。さすがに、体にガタが来たので富山の

    格安カプセルホテルで就寝、その翌日、岐阜に突入することにしました。

     

     そして翌日、富山市から岐阜市に6時間(間に郡上八幡散策をしつつ)かけて到着、先輩達と連絡を取り同窓会の前に飲みに行くことに、

    話できるかなぁと気にしていましたが杞憂でした。顔を合わせた途端に学生時代のノリになり、飲み屋では話が盛り上がりすぎて、同窓会に

    遅刻するという失態。お世話になった教授からは、「ホンマ、お前らはいっつもやらかしよるよな~」と失笑されました。同窓会を楽しんだ後、

    アホな先輩が「昔、夜飲んだ後に金華山(岐阜城のある山)に登ったことがあるよな、近いし、懐かしいから今から登ろうぜ」と言い始めました。

    皆アラフォーなのに正気か?と思ったのですが、先輩は本気らしく、これは行くしかないなと山に向かいました。登山コースは岩場のコースで

    真っ暗な道、落ちたらヤヴぁいので慎重にスマホの明かりを頼りにしつつ、1時間も登り続けAM000頃に登頂しました。その後は、下山し腹が

    減ったとのことでラーメン屋に突入、先輩が「40歳になってもこんなアホなことできる仲間で良かったよな~、次はいつになるかわからんけど、

    次にみんなと合った時はまた夜に登ろうな」と、感慨深い話をしつつビールで乾杯、その後、後ろ髪を引かれる思いを感じつつ、みんなで

    「またな」と握手をして解散。

     

     翌朝、早く起床し、思い出の地を1時間程ぐるりと巡る。懐かしい面々と会って久しぶりに会っても何も変わらない嬉しさと、次はいつ会える

    かなという寂しさを感じつつ帰路に。前日に「飲み + 登山」した帰りなので、「あの過酷な下道はないわ~」と、素直に高速を使うことに。

    高速では、「高速で眠気と戦いグロッキー」、高速はあっという間で10時間程で秋田に到着。次回行くときがあれば、絶対高速使う!と心に決めました。

     

     最後に、この同窓会を機にもう一つ、同窓会から1か月ちょっと経ってから、大学時代に横手市内でインターンシップを2週間程度し

    たことがある。そのときに下宿した食堂ってどこだったかな~と、どうしても思い出せずにいた。そして、つい先週、県南方面に出かけることが

    あった、その帰りに、運命のように吸い寄せられるように入った「安楽食堂」という食堂。中に入った途端、見覚えのある2階への階段を見つけた。

    店員さんに「昔インターンシップを受け入れていたことがありますか?」と尋ねたところ、当時、大学の学生の受け入れをしており、下宿期間も

    2週間程度だったとのこと。「この店だ!」、ストンと心の突っかりが解けた。40歳になってから、大学の思い出に関することが矢継ぎ早に降って

    きたことが運命的に思えた。

     

     そして、このストンと突っかかりがとれたことを店員さんに話すと、

    店員さんは一言、「人生の謎が1つ解けたね。」と、ほほ笑んでくれた。

    NHKの町歩き番組のようだと感動し、40歳の区切りの年齢に運命を感じた数か月でした。

     

                                                                  事務局T