確か、前回の終わりに東京生活の続きを書きたいとしていたが、僕のやること。やっぱテキトーです。先日、週イチの秘密結社Rの「集会」に出た。僕の所属するエリアの組織構成は30代から90代のオトコのみの30名。「例会」と称する集会の出席率は約50%。毎回「会長の時間」が設けられていてその年度の会長さんがスピーチする。今の会長さんはロマンスグレーの穏やかな紳士。僕の10歳くらい上で、入会前からお世話になっており、学生時代に命懸けでチェコスロバキアに渡ったお話を個人的に伺ったことがある。所謂「プラハの春」辺りの頃のワクワクする冒険談だ。
その会長さんが先日「昔は千秋公園のサクラは4月29日辺りが満開だったが最近は時期が早くなってもう散り始めた」とスピーチ。その瞬間、僕の心は50年以上前にタイムスリップ。。。千秋公園のサクラ満開の頃を思い出した。県民なら誰しも知ってる公園。秋田駅から徒歩で10分足らず。今は「市立明徳図書館」になってる所が僕の母校。旧明徳小学校。(今は公園の上部に移転)実家のあった手形から陸橋を渡る。低学年には少しキツい2km弱の距離を通った。毎日公園の中を通る。当時の明徳にはグラウンドもプールもなかった。「中庭」レベルの広場で屋外スポーツをする。蹴ったサッカーボールが校舎のガラスに当たり割れた(当時はサッシなんかないのだ!)ため職員室に誤りに行ったこともある。ホントに狭い敷地だった。
開校記念日は4月28日。天皇誕生日(今は「昭和の日」というが)の前日だったので明徳児童は世間より早くゴールデンウイークに入れた。ヒマを持て余した僕らは校庭に集まって野球をするのが習慣になっていた。満開のサクラの中、大きな打球は公園の土手にぶつかり道路へ出る。そこには屋台がいっぱい。午前中のまだ観桜客がいない時間帯。屋台のお兄ちゃんが唯一の観戦客。ボールを拾いに近づくと「ボウズ、イカ食うか?」「うん!」「じゃあ、やるよ」。丸々1パイの焼きイカを貰う。。。そんな良き時代。Rの会長が仰るように確かに4月の末が満開だった。
サクラ満開の中、食べた焼きイカの味は今もしっかりと覚えてる。キップのいいオトコはカッコいい、そんな大人になりたいものだ、と思ったこともずっ~と覚えてる。