まだ幼少時(僕にも御幼少と言われる時期があった)たまの日曜日、母に連れられ弟と三人で秋田の繁華街(駅前から木内デパート
周辺広小路あたり)へ出かけるのが楽しみでした。バスに乗れること、木内(当時秋田で一番のデパート:屋上に観覧車もあった)の
屋上で遊び食堂でホットケーキを食べることなどワクワクだらけでした。
おめかしをしてのバス停までの道すがら、近所の人に会い「おや、どさが行ぐか?」と聞かれると「うん、秋田さ」と言ったものです。
考えてみれば秋田大橋を渡るものの、僕が住んでいた新屋だって秋田市なのに何故「秋田さ行ぐ」なのだろうか。雄物川という大きな川
を渡って行くからなのか?しかし、秋田駅前とはほぼ陸続き、大きな渡河を必要としない土崎在住のボンボンも「秋田さ行ぐ」と言って
いたそうです。
僕の二つ年下、五城目の馬場目という地区に住んでいたアキラさんはやっぱり「秋田さ行ぐ」、それどころか五城目町の繁華街(と彼は
言っていた)に行くときには「五城目さ行ぐ」と言っていたそうです。それなのに、手形のシティーボーイと呼ばれていた〇まPは「ちょ
っと駅前に」と言っていたと。それを聞き「何、気取ってんだ!」と思ったけれども少し考えてみました。
僕が同じことを言おうものなら「新屋駅前」になってしまうし、土崎のボンボンだって「土崎駅前」となってしまう。手形だって
田舎で、僕の学生時代は谷地で「アシ」だの「ヨシ」だの(同じもの)が生い茂っていた場所なのに、たまたま秋田駅に近かった
ために「駅前に」になっただけなのだろうという事です。
僕たちの「秋田」は、秋田駅前から続く繁華街のことだったのでしょう。
僕も、いつ頃からそうは言わなくなったのかは定かではないのですが、多分その頃から「秋田さ行ぐ」と言う時のあの「ワクワク感」
は無くなってしまったのだと思います。
でも、馬場目のアキラさんは今でも「五城目さ行ぐ!」でワクワク出来ているのかもしれません。