ついこの間、サキガケの「きょうの言葉」欄に見慣れた「ことわざ」について記載があった。この欄は大体が有名人のふとした言葉だったり、小説やマンガの登場人物に語らせたひと言だったりが多い印象があり、珍しいと思って読んだ。
僕ですら知ってる「桜切るバカ、梅切らぬバカ」がそれ。桜は枝を切るとそこから腐れやすくなるから切らない方がいい。逆に梅は放っておくと枝が増えすぎるので切った方がいい、という剪定の仕方に由来する「ことわざ」だ、と言う。僕は単純に「桜は絶対に切っちゃダメ!花が咲かなくなっちゃうゾ」という桜好きな日本人への先人の教えだと思い込んでた。。。何故か、いうと…僕ん家の筋向いにあるお宅の庭には大きくて多くの花を咲かせる立派な桜の木があった。潟上市に居を構えてからず~っとその桜の木は僕を楽しませてくれた。2階の大きな窓から観るそれは四方に大きく広く枝を伸ばし、高さもスゴかった。その1本だけで充分に春を感じることができた。満開の桜は「見事!」と嘆息すら出るほどの圧倒的な美しさと生命の力強さを魅せてくれた。その季節、毎朝ぼ~っとした頭が少し冴える。そんな気がする桜だった。。。それが、5年ほど前、何故か切られた。枝が間引き?されたのだ。???そこのお宅に日が差し込まないから、か? で、翌年、毎年春爛漫と咲き誇っていた桜花は、歯が欠けたジジィのような哀感を漂わせていた。年毎に寂しさを増していった。
だから「ことわざ」とは思わなかった。。。「人を育てるにはそれぞれの個性に合わせた対応が大切だ」といった意味だと言う。後進を育てる立場の人の心得だと。
そして筆者(矢口誠さんという翻訳家)は言う。教えを受ける側こそ胸に刻むべき言葉だ、と。同じ過ちを犯しても他の人は笑って許してもらえたのに自分だけは厳しく叱責される。試験でも点数の低かった友人より高い点を取った自分が注意される。「差別だ」と思ってしまう。本当にえこひいきの場合もあろうが「いつか自分のポストを継がせたい部下」には他と比べて指導に力が入るものだ、指摘されたところを改善したらどんな結果が得られるかを考えてみれば相手が差別しているかどうかがわかるのではないか、と言う。。。確かにそうだ。それぞれの個性を尊重して育成しなきゃ「人材」は「人財」に化けない可能性が高い。個々にカスタマイズして育てなきゃいけない感がある。特にゆとり教育を受けた世代は「平等」と「公平」の意味を同じと思う人が多いようにも感じる。あ、ちょっと論点がズレつつある。いづれにしても超高齢化、人口減の中、しっかりと後進を育成して繋いでいかなきゃ、ね。。。で、期待されているみなさんは、矢口さんの言うとおり「あ、そっか!期待されてるのか。頑張ろ!」って思ってくださいね~